一般社団法人 日本私立大学連盟(JAPUC)

01[追手門学院大学]宮本輝ミュージアムと
追手門学院大学

真銅 正宏
追手門学院大学学長

1. 宮本輝が一期生であることの幸福

著名な作家が、ある大学の卒業生であることに加えて、その一期生である場合は、珍しいのではないか。
宮本輝は、1966年に茨木市安威に開学した追手門学院大学をモデルとして、『青が散る』の中に、主人公椎名燎平が通う大学を次のように描いている。

その学院は小学校から高校までの一貫教育を目玉に、おもに金持の子弟の通う私学として八十年の歴史を誇っていたが、大学だけは持っていなかった。学校経営陣の積年の念願が叶って、いよいよ大学開校のはこびとなり、文学部、経済学部あわせて七百名の第一期生を募集したのである。 そして燎平たちは、テニス部を創部するに際し、テニスコートを手作りすることから始めるのである。

このとおり、一期生というのは格別である。さらにこのことが、『青が散る』の世界をも魅力的彩っている。

2. 宮本輝ミュージアムという幸福

卒業生である著名な作家を顕彰する施設を、たとえ大学が建設することを希望しても、必ずしも容易に叶うわけではない。そのためには様々な条件が整う必要がある。
追手門学院が創立120周年を迎えることの先行記念事業として、2005年5月、大学附属図書館の一角に宮本輝ミュージアムが開設された。以来、学生教職員を含めて、延べ約15万人が来場している。 このミュージアムには、氏の理解と多大なる協力を得て、サインや落款の入った著書を含む各種著作物、自筆原稿や万年筆などの愛用品、各種のAV資料などが収蔵されている。常設展示は氏の文学を多面的に知ることができるように工夫され、加えて半期ごとに企画展が催されてきた。その数は29回を数える。
2005年5月21日に開催された宮本輝ミュージアム開設記念セレモニーで、宮本輝は、「卒業生として大変光栄なことです」と述べ、「講演会」においては、「記念館は亡くなった方のために作られることが多いですし、今の時点で記念館はおこがましいと思い、ミュージアムと名称を変えていただきました」「ミュージアムを見せていただいたところ、展示スペースの上方にはまだまだ空間がありました。これからもがんばって書けといわれているようだ」と述べている(『OTEMON PRESS』No.19、2005年7月発行)。
例の如く「照れ」とユーモアが込められると共に、卒業生としての思いも示された、実に有難い言葉である。

3. 宮本輝の作品中に本学が登場するという幸福

『青が散る』とともに、父をモデルとした氏のライフワークである『流転の海』シリーズの最終巻『野の春』にも、本学が実に丁寧に描写されている。
そこが物語の舞台であることにより、普段の生活場所が特別なる「トポス」に昇格する。作品に描かれるとは、単に写されるのではなく、多層性を持った意味ある場所へと移されることを意味する。日本の古典文学における「歌枕」がその代表である。吉野山の桜は、西行の歌に誘われて後世多くの人が訪れ、その一人である芭蕉が、句を詠んだために、さらに多くの人が訪れることとなる。
本学にも宮本輝を慕うファンが多く訪れている。その中には、次世代の文学者が含まれているかもしれない。
この宮本輝ミュージアムが、現代および次代の「歌枕」となることを期待したい。

宮本輝ミュージアム
[写真]宮本輝ミュージアム