02[立教大学]乱歩の生きた空間で
大衆文化を学ぶ
金子 明雄
立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター長・文学部教授
日本を代表する探偵小説作家・江戸川乱歩(本名:平井太郎、1894-1965)は生涯46回引っ越しをしたとされるが、最後の家になったのが、立教大学の北側に隣接した豊島区西池袋3丁目にある旧江戸川乱歩邸である。この300坪余りの敷地に2階建の土蔵のある木造平屋住宅を、家賃90円で乱歩が借りたのは1934 年のこと、その後1948年に土地と建物を購入し、1965年に逝去するまでの31年間に亘ってこの家で過ごしている。引っ越し好きの乱歩がこの土地と家を気に入った理由は定かでないが、その間、1957年に1階に応接間を配置した2階建洋館とご子息宅などを増築する改築がなされており、乱歩没後の1976年にも改築が行われ、現在に近いかたちになった。
立教大学は、乱歩のご子息隆太郎氏が教員として勤務された縁などから平井家との関係を深め、2002年に土蔵を含めた建物と土地、旧蔵書(和書1万3000冊、洋書2600冊、雑誌5500冊、和本3500冊ほど)および、さまざまな物品や資料を一括して引き受けることになり、2003年に豊島区指定有形文化財となった土蔵の復元・補強を経て、2006年に立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターをこの地に立ち上げる。同センターは、旧蔵書を中心とする乱歩関連資料の整理、保存、公開を進めるばかりでなく、土蔵を含めた旧乱歩邸の公開やシンポジウムの開催などを通して、乱歩を中心とする探偵小説(ミステリー)への幅広い関心を醸成すると共に、探偵小説に限定されない大衆文化全般に関わる研究の発展に貢献することを目的として、研究雑誌『大衆文化』や『センター通信』を発行して、大衆文化研究の情報センターとしての役割を果たしている。
大衆文化研究センターの特質は、単に乱歩の旧蔵書を所蔵しているばかりでなく、土蔵をはじめとして、もともとそれらが収められていた独特の環境とのセットで保存していることにあり、「幻影城」という言葉によって喚起される、乱歩の広大で奥深い知的世界を書物を中心とする情報の面と土蔵などの建築の両面から再構築する役割を担っている。今日においても幅広い読者を有し、映像作品や舞台作品となることも多い乱歩作品だけに、それらが生み出された環境への関心も高く、週2日の公開日にはコンスタントな来場者があり、洋館応接間などを中心にフォトジェニックな空間を撮影等に利用したいという希望も数多く寄せられている。乱歩や大衆文化に興味を持つ学生にとっても、この場所で乱歩資料に接することに特別な価値や魅力があることはいうまでもない。
乱歩関連資料の多くは、立教大学図書館の検索システムから調べられるかたちになっており、これまで通り資料の利用を補助する業務を続けるのは当然だが、まだ整理の進んでいない資料もあり、それらの資料をデジタル化してWebなどで公開していく事業を進めることや、乱歩資料を所蔵する全国の機関や、乱歩以外の探偵小説家・大衆文学作家の資料を所蔵する資料館等と連携して、大衆文化領域でのネットワークや人間関係を明らかにする企画などを展開するのが今後の目標である。
[写真]旧乱歩邸 土蔵外観
[写真]旧乱歩邸 土蔵内書架