一般社団法人 日本私立大学連盟(JAPUC)

私の授業実践  ~教育現場の最前線から~

歴史の授業でウィキペディアを使ってみた
(結局は、歴史とは何かを本気で教えていた)

吉江 弘和
創価大学国際教養学部講師

きっかけは学生たちによる度重なる利用だった。学生にレポートやプレゼンテーションを課すとインターネット、特にウィキペディアからしれっと情報を仕入れてくる。その度に「ウィキペディアは誰でも書けるし査読の制度もないから信憑性が薄くて云々」と説明するが、学生にはあまり響かない。次第に自分自身にも響かなくなっていった。

その理由は、自分の発言の根拠が曖昧なものであると気付いたからだ。大学図書館にも査読を経ていない書籍・雑誌は無数にあるが、それらから引用した学生には同じような注意をしない。それはなぜか。そもそも自分は、ウィキペディアにある情報がどのように作られ、その情報を精査する仕組みはあるのか、ないのか、あればどのようなものかについて全く知らなかった。「ウィキペディアの知は悪、大学の知は善」と言い切るにはあまりにも素朴であり無知であった。ウィキペディアを遠ざけようと学生と無意味に格闘するくらいなら、学生に実際にウィキペディアの記事を執筆・編集してもらい、ウィキペディアの知を体験してもらうことの方が建設的ではないかと思うに至った。2019年の初秋のことだった。

その後準備を進めていくと、心強いサポートが各種あることが分かった。まず大学の歴史科目でウィキペディアを使うことに関しては、先人の体験・知見が存在する。ウィキペディアが世に出た2001年以降、それを教材として積極的に利用する歴史教員は北米の大学に散在しており、その体験は教授法の論文として共有されている※1

その上ウィキペディア自身も、大学の教育活動を支援する姿勢を鮮明にしている。長らく大学とは無縁だったウィキペディアだが、2013年に大きく方向転換を行う。ウィキ教育財団という組織を設置し、それを母体として大学の授業向けのサポート体制を構築する。これによって学生は、ウィキペディアを執筆・編集する際の注意事項を学ぶトレーニングをWeb上で受講したり、指定されたコーディネーターに質問ができる。教員は、授業科目単位のポータルサイトを開設し、それを通して履修学生の執筆・編集履歴を知ることができる。これらの支援を受けるには、教員が事前にシラバスを提出して同財団の認証を受ける必要がある。2020年3月下旬、事前に提出した歴史科目「Seminar: Wikipedia and Modern Japanese History」が先方に承認された※2。準備は整っていった。

翌月下旬、開講を迎えた。期間は週1回の授業で14週間となった。本学部の授業は全て英語で行っており、同科目も同様である。履修者は筆者の所属する学部の3年生が6名となった。ゼミということで少人数ではあるが、本学部は専攻がないカリキュラムのため、履修学生は歴史学を専門にしていない。一方で6名全員が日本の学校教育を受けており、日本史に対する認識は持ち合わせていた。最終的な目標は、各学生が選んだ近現代日本史のトピックに基づいて英語版のウィキペディアに執筆・編集を行うことであった。ウィキペディアに既にあるトピック(項目ごとに独立したWebページ)に加筆するのか、新たなトピックを作るのかは自由としたが、いずれにせよ、英単語数として2300語以上の執筆を最低条件とした。授業時間外はそれぞれのトピックの執筆に学生は取り組み、毎週の授業では学生による経過報告や問題点の共有、教員からの助言や問題提起などを中心に行うこととした。

まずトピックの選定から始まった。各学生の興味関心が基本ではあるが、それと同時に、英語版ウィキペディアで既に詳細に記述されているトピック、また、まだ学術的に研究されていないトピックは避けるように伝えた。加筆できることがなかったり、情報源となる学術論文・書籍がないという状況を避けるのがその理由であった。これら制約の中でも学生たちは、「Iwakura Tomomi(岩倉具視)」といった歴史上の人物から「Taishō Democracy(大正デモクラシー)」といった政治運動、さらには「History of Amusement Parks in Japan(日本の遊園地の歴史)」など、幅広いテーマを選んだ。

次はトピックに関する文献を集める作業に入った。時節柄、大学図書館には入館できなかったが、司書の方々が必要な書籍は学生の自宅へ郵送したり、遠隔でも学術論文をデジタルで入手する方法を丁寧に教えてくれた。学生には、関連文献とその入手方法を記したリストを出してもらい、学術的な資料が少なかったり、古い文献ばかりの場合は個別に指摘をしていった。ある学生は、すぐに入手したい書籍があったが、大学図書館からの郵送手続きは時間がかかることを知り、自宅近くの公共図書館まで自転車で借りに行った。教員冥利に尽きる。

関連資料の収集と同時進行して、それらを読み進めるよう促した。ただ、この作業に戸惑いを感じる学生も多かった。というのも、学生たちが受けたそれまでの授業では、教員が宿題を選択して学生に課し、学生はそれを最初から最後まで読むことが期待されていた。しかし本ゼミの数週間という時間的制約では、集めた資料の全ては読みこなせない。逆に、読めば読むほど新たな関連文献が見つかってくる。ただこのことは、歴史研究としては当然のことで、研究者たちは自ら読むものを合理的に選びとり、常に一定の情報を諦めている。学ぶべき・解釈すべき情報が無限にあるという感覚こそが歴史学者の不安の種であり、同時に研究の原動力でもあると思う。今回のように学生たちが行き詰まったときこそ、歴史研究の作法を伝える絶好の機会だと感じた。

6月の中心は、トピックの執筆作業だった。学生はあらかじめ週ごとに行う執筆内容と執筆量の目安を提出し、それに沿って書いたものを毎週ウィキペディア上で公開。教員はその都度それを評価しながら修正に関する助言を行った(教員は、前述のポータルサイトからどの学生が何文字書き込んだかを逐一確認することができる)。毎週のコメントでは、文献を読み進める場合と同様、選択的に文章を構成することを伝えた。

7月は、学生が一度書き上げたものをお互いに読んで批評・助言してもらった。教員として筆者も各トピック修正に関する提案を行った。各学生は、これらのコメントを考慮してトピックを加筆・修正し、その成果を学期末の課題と位置付けた。また、ウィキペディアにアクセスできる者は誰でも、そこに書かれたものに異議を唱えたり、修正を提案したりでき、それらについて議論するためのWeb空間も用意されている。先述の教授法に関する論文では、学生が自身の書いたものについて見知らぬ他人と議論を重ねる体験が報告されている。本科目でも同様のことを期待していたが、結局そのような異議申立はなかった。その理由はよく分からない。

8月上旬、ウィキペディアを使った歴史授業は無事に終了した。きっかけはウィキペディアの知とは何か体験し考えてもらうことだったが、終わってみるとウィキペディアについてよりも、筆者自身が日々実践している歴史学の知の生成サイクルを教授していたことが分かった。履修した学生はウィキペディアを通して、ある特定のテーマについて資料を集め、選択的に解釈し、実証的に叙述し、叙述したものを他者に批評され、それを受けて加筆・修正を行う。これは多くの歴史学者が日常的に行っている学術活動に似ており、実際のところ筆者は、自身の研究体験を基に学生に助言を行い、また学生の実践を評価していた。

当然、ウィキペディアと学術知は違う。前者の場合は執筆や批評をする権利が広く開かれているが、後者におけるそれらは、専門性と経験に裏打ちされた序列が存在する。学期中に両者の違いを学生と議論する機会を設けようと考えていたが、その時間を確保できないまま学期末を迎えた。

ともあれ、ウィキペディアを通して歴史研究を教えていたというのは筆者にはうれしい発見であった。ただよく考えると、ウィキペディアは、学部の授業でできることの中では実際の歴史研究に近いツールであり、筆者の結論は合理的といえる。より一般的なレポート課題でも歴史研究の作法について教えることはできるが、その場合は想定される読者と批評者が他の学生と教員に限定される。ウィキペディアの場合は、学生が書いたものが瞬時に世界中のネットユーザーに閲覧可能となる。これら無数の読者は、学生の書いたものに批判や修正をすることもできる(残念なことに本科目の履修生はこれを体験できなかったけれども)。このように書いたものを出版し世に問う作業は、歴史研究者ならば書籍や論文を通して実践できるが、通常の授業で学生に体験してもらうことはできない。しかしウィキペディアではそれが可能であり、しかも学生は、自身が執筆・編集したトピックが何回閲覧されているか確認できる。例えば「Iwakura Tomomi」は7月だけで900回ほど閲覧されていた。自身の知的成果を第三者の目に晒すプロセスは、履修学生全員に良い緊張感を終始与え、クラス全体の作業の質を高めることとなった。

筆者も教員として、自分の学生の文章がweb上に出版されるという事実を前に、いつにもまして学生の成長に熱心になっていた。これはウィキペディアでなければ体験できなかったと思う。未知の授業実践に飛び込んできてくれた学生6名にも感謝したい。

2020年春学期、ウィキペディアを使って本気で歴史を教えた。
※1 最近の例としては、Robert L. Nelson & Heidi L. M. Jacobs, “History, Play, and the Public: Wikipedia in the University Classroom,” The History Teacher, Vol. 50, No. 4 (August 2017)を参照。
※2 同科目のシラバスを含む詳細は、ウィキ教育財団のウェブサイトで閲覧可能である:https://dashboard.wikiedu.org/courses/Soka_University/Wikipedia_and_Modern_Japanese_History_(Spring)/timeline