一般社団法人 日本私立大学連盟(JAPUC)
撮影協力:神田稲荷湯 銭湯のペンキ絵の前に立つ田中さん
撮影協力:神田稲荷湯 銭湯のペンキ絵の前に立つ田中さん
クローズアップインタビュー
クローズアップインタビュー

銭湯ペンキ絵師 田中 みずきさんに聞く 銭湯ペンキ絵師 田中 みずきさんに聞く

[聞き手]川島 葵さん フリーアナウンサー

田中 みずき(たなか・みずき)

1983年生まれ、大阪府出身。幼少時から東京に在住。2006年、明治学院大学文学部芸術学科卒業。2008年、明治学院大学大学院文学研究科芸術学専攻博士前期課程修了。大学在学中に卒業論文の調査を通して知り合った銭湯絵師・中島盛夫氏に弟子入り。8年半の修業の後、2013年に独立。著書に『わたしは銭湯ペンキ絵師』(秀明大学出版会)。

光を描き出し
くつろぎの空間を演出する
銭湯ペンキ絵師

日本に3人の銭湯ペンキ絵師への道

川島 本日は、日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師の一人である田中みずきさんにお話を伺います。先ほど、神田にある銭湯、稲荷湯に描かれたペンキ絵を拝見しましたが、雄大な富士山の姿に目を奪われました。素晴らしいペンキ絵を描かれる田中さんですが、子どもの頃から絵を描くことが好きだったのでしょうか。

田中 絵を描くのも好きでしたが、小学生の頃は漫画を描くのが大好きでした。時間さえあれば落書き帳にひたすら漫画を描いていましたね。子どもの頃は、体が弱かったので病院によく行き、お医者さんに憧れていたのですが。次第に家で漫画を真似して描くようになり、お医者さんより漫画家になりたいと思うようになりました。

川島 明治学院大学文学部芸術学科を卒業されていますが、美術の道を志したきっかけは何だったのでしょう。

田中 新聞社に勤めていた父が美術の記事を書いていたこともあって、よく美術展に連れて行ってくれました。美術に触れるうちに、自分でも作品を作れたら面白そうだなと思うようになったのです。美術の歴史を知っていれば面白い美術作品が作れるのではないかと思ったことと、学びながら自分の作品を作る時間が取りたいと考えていたことから、明治学院大学文学部芸術学科を志望しました。高校時代に読んでいた美術関連の本を執筆した先生方が在籍していたことも、魅力の一つでした。

川島 明治学院大学で学んで良かったと思ったことは、どんなことでしょうか。

田中 大学では興味ある授業に積極的に参加しました。例えば、四方田犬彦元教授が高校生の頃に読んでいた名著を読み解く講義はとても印象に残っています。毎週、先生の著作『ハイスクール・ブッキッシュライフ』(講談社、2001年)に出てくる本の中から課題の本が1冊ずつ取り上げられていくのですが、そのおかげで今までになかった視点で本を読むことができるようになりました。本が書かれた時代背景や作中に出てくるモチーフの文化的な意味などを知ると、面白さが倍増しました。そうして視野を広げていったことが、今の仕事にもつながっているように思います。また、明治学院大学では、学生がそれぞれ興味や関心を持つことを頑張っていて、サークルやアルバイトに熱中している学生もいました。大学時代に、いろいろな価値観を持った人がいて、いろいろな生き方があるのだと気付けたことは、私にとって大きな刺激になりました。大学生活は、社会に出る前に「社会で生きること」を考えるきっかけの一つになったと思っています。

川島 美術に関してはどのようなことを学ばれたのですか。

田中 3年次から山下裕二先生のゼミに所属し、日本美術史を学びました。入学当初は、「自分の作品を作って新しい世界を見せたい」と考えていたのですが、大学で学ぶうちに美術史がどんどん面白くなって、のめり込んでしまいました。研究書を読むと、昔の作品に対して、新しい視点での解釈が次々に与えられている。私も自分なりのものの見方で、過去の作品を解釈してみたいと思ったのです。私は現代美術がとても好きだったのですが、美術史を学ぶことで、歴史に基づいて現代美術を捉えられるようになるのではという期待もありました。

川島 葵さん
田中 みずきさん

銭湯につかって体感 
ペンキ絵のインスタレーション※

田中さん

川島 銭湯に興味を持つようになったきっかけは何だったのでしょう。

田中 卒業論文のテーマを決めるのに悩んでいた時に、ひたすら好きなアーティストや作品を書き出していったんです。それを俯瞰してみると、銭湯をモチーフにした作品を作っている現代美術家の名前がいくつかあることに気付きました。その時、「私は銭湯をモチーフにした作品に興味があるのかもしれない」と考え、銭湯のペンキ絵に注目し始めたのです。

川島 田中さんにとって、銭湯は縁のあった場所だったのでしょうか。

田中 家の近くに銭湯があったのですが、昔ながらの趣のある建物だなと思うくらいで、一度も行ったことはありませんでした。しかし、卒業論文のテーマとして考えるようになってからは、1日に2〜3軒は回るようになりました。

川島 そこで初めて実物のペンキ絵をご覧になったかと思いますが、最初にどんな印象を受けましたか。

田中 ペンキ絵の存在自体は、映画やドラマ、漫画などに出てくるのを見て知っていましたが、実物を目にすると、全く違う印象を受けました。初めて行ったのは近所の銭湯だったのですが、浴室の照明が薄暗かったんです。富士山と雲が描かれていたのですが、薄暗がりの中にペンキ絵が輝いているように見えました。さらに、冬だったため湯船から湯気がモワーッと立ち上がり、絵の中の雲と重なるように見えた時、「これはインスタレーションだ! 空間全体が作品になっている!」と思いました。しかも、それが一過性の展示ではなく、ずっと存在し続けているのです。風景を見ている疑似体験のようだけど、ちゃんと「絵」としてそこにある。その感覚がとても面白く、「何だ、これは?」と思ったのが率直な感想です。

川島 これまでたくさんの美術館やギャラリーを巡り、インスタレーションという表現も見て来られたと思いますが、それとはまた違う感覚を得られたのですね。

田中 「こんな形でこんな作品が?!」とびっくりしてしまいました。それから、なぜ富士山をモチーフにしているんだろう? どういう風に描かれているんだろう? と次々に疑問が湧き、ペンキ絵の資料を読むようになりました。

川島 どのような資料があるのですか。

田中 ペンキ絵について研究している先人の書籍を読んだのはもちろん、昔はペンキ絵が広告の役割を果たしていたので、それに関わった企業が持っていた資料を見せてもらったり、当時を知る人にインタビューをしたりしました。そうすると、書籍には載っていない、例えばペンキの値段などを知ることができたのです。企業の方も最初は「何をしにきたんだろう?」という感じでしたが、「学生さんが頑張っているんだから」と協力してくれるようになりました。講義がない時は国立国会図書館に通って、ひたすら新聞や雑誌を調べて、ペンキ絵に関する広告などの資料を探していました。

川島 その好奇心の強さは、幼いころからのものでしょうか。

田中 大学で学ぶ中で開花したと感じています。先ほどお話しした四方田先生の講義で聖書が題材になったことがあり、その時、ある学生が先生に対してとても掘り下げた専門的な質問をしたのです。私も事前に課題箇所の文献を読むなど準備をしていたのですが、文化的な話題には比較的強い方だといううぬぼれが崩れ去るくらいに、質問の意味することが分かりませんでした。先生はその質問に対してご自分の考えを述べられたのですが、そのやり取りがとても面白くて衝撃的でした。この経験に単純に感動して「自分もああいう質問がしたい」と思い、とにかく先生に質問しようという気持ちになったのです。ただ、質問をするには、資料をしっかり読み込まないといけませんし、質問の立て方や質疑応答の広がりも考える必要があると分かってきて、それを繰り返すうちに自分で調べて問いを立てるというやり方が身に付いたのだと思います。

田中さん

銭湯ペンキ絵師となる決意 
8年半の修業を積んで独立

川島 学びを通して銭湯のペンキ絵に出合い、在学中に銭湯絵師の中島盛夫さんに弟子入りされたそうですね。二足のわらじを履くのは大変だったかと思いますが、なぜ在学中のタイミングだったのでしょう。

田中 卒業論文を書くためにペンキ絵の制作現場を見学させていただくことを続けていました。しかし、当時からペンキ絵職人は3人だけで、業界には若手がおらず、皆さん高齢でした。「このままだとペンキ絵の文化がなくなってしまう。何とか残したい」と考えた時、自分がペンキ絵師になるのが一番早いのではないかと思ったのです。元々、私は絵を描くのが好きでしたし、作品を作りたいという思いがありましたから。

川島 それまでペンキで絵を描かれた経験はあったのですか。

田中 全くありませんでした。師匠は迷うことなく、スムーズに絵を描き進めていたので、簡単に描けるものだと思っていましたが、後になってその大変さを実感しました。

川島 大学院にも進学され、卒業後は就職されましたが、何か事情があったのでしょうか。

田中 師匠から「ペンキ絵一本では食べていけないと思うから、安定した収入のある仕事を別に持ちなさい」と言われて、就職活動も始めました。ありがたいことに美術系の出版社に拾っていただき、編集者として勤めるようになります。しかし、仕事しながらでは、ペンキ絵の修業には年に数回しか行くことができなかったのと、客観的にこの仕事に向いていないのではと思ったこと、そして体調を崩してしまったこともあって、アルバイトをしながらペンキ絵の修業に専念するようになりました。

川島 修業時代にはどのようなことをされていたのでしょうか。

田中 最初は荷物を運んだり、現場が汚れないようにシートで養生をしたりすることから始まりました。今思えば、仕事に必要な道具やその保管場所を覚えるための訓練だったのだと思います。この作業を通じて、効率を意識するようにもなりました。職人さんによって作業の仕方が異なるのですが、師匠の場合は浴槽の上に長い木の板を並べて、足場を組んでいましたので、その設置作業も修業の一環でした。

川島 修業をする中で驚いたことや意外だったことはありますか。

田中 作業の様子は大学生の頃に見ていたのですが、銭湯のペンキ絵は1日で描き終えるのです。ペンキが下に垂れていくので、天井に近い上部から下に向かって描き進めます。下の方はペンキが垂れても描き直せますから。朝8時に現場に入って、夕方6時には作業が終わるのですが、その間に男湯と女湯の両方にペンキ絵を描き終えるんです。

川島 たった1日で描き上げるというお話を聞いて、私もとても驚きました。そうした技術を、どのようにして磨いていったのでしょうか。

田中 最初は空の部分だけ描かせてもらいました。空は1色で表現するので、ミスをしても直すことができます。空を描く作業を通して、ペンキを使うことに慣れていき、徐々に海や松など周辺のモチーフを描かせてもらい、最後に富士山を描かせてもらうという形で修業が進みました。

川島 初めて1人でペンキ絵を描いたのはいつですか。

田中 修業を始めて7年目のことでした。最初はとても焦りましたね。1日で終わらせられると思っていたのですが、壁が傷んでいたこともあり、なかなか作業が進まない。半分は描き上げているはずの時間になっても、全然、壁面が埋まっていない。休んで冷静に考える時間もない中で、何とか夜10時に作業が終わり、ヘトヘトになって家に帰りました。帰りながら「本当にちゃんと描けたのだろうか」と思い悩んでいたのを覚えています。

テーブルを挟んで向かい合う川島さんと田中さん

心地よい光を表現し
 見る人の気持ちを明るくしたい

クリアファイルの画像
神田の稲荷湯では、過去に田中さんが描いたペンキ絵の写真でクリアファイルを作成

川島 ご著書を読んで知ったのですが、ペンキ絵は1年から数年で描き換えるのですね。私は10年に1回くらいのペースで描き換えるものだと思っていたので驚きました。

田中 とにかく効率を重視するので、時間がない時は古い絵を塗りつぶすこともせず、上からそのまま絵を描いていくこともあります。前の絵がもったいないと思うこともありますが、銭湯のペンキ絵は「描き換えていく文化」なので、新しく描いていくことに専念しています。

川島 銭湯で入浴されるお客さんは、お湯につかってペンキ絵を眺めながらいろいろなことを考えるのでしょうね。

田中 ペンキ絵がある銭湯の空間には、いろいろな時間軸が重なっているように思います。ペンキ絵は初夏の風景を描いているはずなのに、富士山の山頂は雪をかぶっているなど、実際にはあり得ない時間が混ぜ合わされていることもあります。そこにさらにお湯につかるお客さんの時間が重なる。そうしたいろいろな時間の流れを意識しながらペンキ絵を描いています。

川島 確かに、富士山というモチーフは旅先で眺めたり、何かの時に目にすることが多いですから、見る人の人生や思い出を重ねることがあるのかもしれません。先ほど稲荷湯のペンキ絵を拝見したのですが、朝日を浴びる富士山が、まるで呼吸をしているかのように生き生きと感じられました。

田中 そう言っていただけると、とてもうれしいです。私はペンキ絵を描く時に、色を描くことで光のようなものを描き出したいと思っています。光は、一番時間を感じさせるものだと思うのです。「晴れた朝は明るい」「夕日がきれい」といったふうに、時間を分かりやすく表現できますし、感情を強く動かすものだと思います。銭湯の場合は、縁起物として朝日を受ける富士山の姿を描くのですが、その光をうまく表現して、見た人に明るい気持ちになってもらいたいと考えています。

川島 近年は映画やご当地キャラクターとコラボレーションをしたり、ペンキ絵のワークショップを開催したりするなど、ユニークな活動もされていますね。特に印象に残っている作品はありますか。

田中 ペンキ絵を描く時には、毎回、銭湯のオーナーやそのご家族とじっくり相談しながらデザインを練るので、どれも忘れることができない思い出深いものになっています。コラボレーションをする時も、映画作品について勉強したり、ご当地キャラクターが生まれた地域に関する資料を読んだり、制作する前に自分が納得できるように下調べをしています。

川島 学生時代の経験がそこでも生かされているのですね。最後に、学生をはじめとした若い世代に向けて、メッセージを頂けますか。

田中 なかなか人生が思い通りに進まないと思っている人も多いかと思いますが、生きていく上で自分が「必要がない」と思った経験が、後で意味を持つこともあります。私も、大学では今の自分に必要なさそうな講義をたくさん受けました。でも、そこで新しい発見があり、今につながる学びがありました。皆さんには、人生を効率で考えるのではなく、興味を持ったことにどんどん挑戦してほしいと思います。

川島 同年代の私にも響くメッセージをありがとうございます。これからもすてきなペンキ絵を描き続けてください。

クリアファイルの画像
神田の稲荷湯では、過去に田中さんが描いたペンキ絵の写真でクリアファイルを作成
稲荷湯の暖簾の前でポーズをとる川島さんと田中さん

〈注〉
※ 作品が置かれる空間全体を一つの作品として、体験的に鑑賞させる芸術表現。