一般社団法人 日本私立大学連盟(JAPUC)
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寄稿

[私立大学のミライー研究編ー]イルカと話したい ー「海の知性」との対話のむこうにー [私立大学のミライー研究編ー]イルカと話したい ー「海の知性」との対話のむこうにー

村山 司
東海大学海洋学部教授
東海大学海洋科学博物館館長

はじめに

2020年度の文部科学省科学技術白書には「動物が言語表現を理解したり、自分の意思を言語にして発したりすることのできる会話装置の開発」ということが謳われている。少し大雑把な言い方をすれば「動物と会話できる装置を完成させたい」ということらしい。ずいぶん大胆で画期的な予測ではあるが、それがわが国の研究や教育の方針の一端となったことは、そうした研究を続けてきた筆者にとってはなんともたいへん心強い。
ことばを使っているのはヒトだけではない。ヒトが用いているのは「人間語」であるのに対し、動物には動物なりの「動物語」がある。彼らは周りで起きている何らかの事象を音、光、あるいは振動を使った「ことば」を介して情報を伝え合っている。その目的はさまざまである。仲間に外敵(捕食者)の到来を知らせる警戒の意味や異性を呼ぶ求愛の意図として、あるいは他愛もないおしゃべりのようなやり取りもあるかもしれない。
それは海の動物においても同じ。彼らは水中でさまざまな「ことば」を用いてコミュニケーションを図っている。実は、そうしたコミュニケーションは頻繁になされている。ただヒトがそれに気づけていないだけ。動物たちは、本当はとてもにぎやかなのである。 こうした動物のコミュニケーションを解明する研究は大学では動物系や心理系の学科で行われることが多いように思う。しかし、筆者はそれを、東海大学海洋学部海洋生物学科という海の生き物を扱う学科で研究している。

1.「海の知性」イルカとの対話は

昨今、地球環境の悪化が叫ばれており、海で暮らす生き物にもさまざまな影響をもたらしている。人間が起こした原因の結果として生態系、すなわち生物や環境のしくみに影響を与えているのだ。これに鑑みて、海洋生物学科では、生態系の保全や動物との共存・共生の道を探るべく、さまざまな教育と研究が行われている。大学の目の前には日本一深い駿河湾がある。そこに船を出して調査することもあれば、海に潜って水中を観察することもある。それがかなわないときには、海の一部を切り取って水槽に海を再現したり、水族館を舞台として研究を展開したりする。海の動物を「野生動物」としてとらえ、なるべくありのままの姿を解明するようにしている。
一方、「個体」に着目し、その生物学的な特性を明らかにするのも生物を知る一つの方法である。感覚、行動、生理、知能などがこの特性に当てはまる。用いられる手法は飼育下の個体を使った「実験」であるが、筆者は中でも知能に着目した研究を行っている。対象はイルカである。 かつて、イルカといえば「賢い」というのが代名詞であった。しかし、最近では筆者がそう言わないと誰もイルカが賢いと言ってくれない。海で彼らは多くの個体から成る群れをつくり、さまざまな社会性を見せてくれる。それは高度な知的特性に裏打ちされたものである。これまで村山研究室ではイルカやシャチなどの鯨類をはじめとする海獣類を対象に、知的特性について調べてきた。その結果、どうやらそうした動物たちが実はとても「賢い」ことがわかってきた。知的特性にはコミュニケーション能力や、言語理解能力がある。「海の知性」であるイルカとのコミュニケーションの探求、それこそ筆者が海洋生物学科で研究をする所以である。
イルカは音でコミュニケーションを図っていると言われており、以前は何を言っているのかを調べる研究も行われていた。しかし、イルカの鳴音と行動との関係が複雑すぎて、結局、鳴音の意味、つまり「何を語っているのか」をつかむことができず、皆あきらめてしまった。現在は全く行われていない。ただ、近年、トリの鳴音に文法らしいものがあるのではないかと言われているので、イルカも丁寧に詳細に観察していけばその鳴音の意味も解明できるのではないかと思われる。しかし、相手は水中の動物。空気を吸って暮らしているわれわれヒトには、やはり研究対象としてのハードルが高い。それならば、イルカ同士ではなく、ヒトとイルカのコミュニケーションではどうだろう。そこで筆者が考えたのはイルカにヒトのことばを教えること。イルカがヒトと共通の言語を持てば、それを使って対話できるかもしれない。
イルカにヒトのことばを教えて意思疎通を図るという研究は、イルカの認知のしくみを知る、ひいては知能の進化を解明する糸口となる可能性もある。それはイルカという動物を内面から理解することでもある。

2.イルカにことばを教える

さて、イルカにことばを教えるにはどうすればよいか。答えはすぐに思いついた。イルカもヒトも「言語を覚える」しくみが同じであるなら、われわれが英語やフランス語といった語学を学ぶときと同じ教え方をすればよいのではないか。やってみよう。
まずは「名詞」を教えるところからスタートした。被験体は鴨川シーワールド(千葉県鴨川市)で飼育されているシロイルカの「ナック」という個体[写真1]である。例えば、ヒトが英単語を覚えるときには発音とスペルを覚えるように、ナックには見慣れた4つの物(フィン、マスク、長グツ、バケツ)について、それぞれに対応する呼び名(「ピー」「ピーーーー」「ホウ?」「ヴォッ」)を学習させる。また、それぞれの物を表す記号(⊥、R、>、O)を教えた。例えば、長グツを見たらその呼び名「ホウ?」を発し、フィンの記号「⊥」を見たらフィンを選ぶといった具合である[写真2]。
具体的には[図1]のような三角形の関係(刺激等価性という)を理解すればよい。しかし、ナックはこの図中の6本の矢印のうち3本(黒い矢印)の関係を理解しただけで、訓練もしていないのに残り3本(白い矢印)の関係も理解した。これはヒトがことばを覚えるしくみと同じである。

[写真1]被験体の「ナック」
[写真1]被験体の「ナック」
[写真2]フィンを選択する様子
[写真2]フィンを選択する様子
[図1]刺激等価性を示す図
[図1]刺激等価性を示す図。ナックは黒い矢印の関係を訓練で学んだだけで、白い矢印の関係も自発的に理解した。

こうした実験は水族館で行われるが、そもそも水族館は研究施設ではないので、実験をするときは先方の事情を最優先にしなければならない。年末年始やお盆、連休期間などの繁忙期は、水族館は実験どころではない。したがって、そういう期間は避けなければならず、実験できる期間は1年に2カ月(1カ月を2回)ほど。案外短い。また、動物相手の研究なので、こちらの思い通りの結果が得られないことも頻繁である。胃が痛くなるような2カ月である。期間中は学生が水族館に滞在し、スタッフの作業を手伝いながら実験することになる。学生にとってはよい社会勉強にもなる。
こうして名詞について学習した後は、「動詞」に挑戦している。動詞を覚えれば名詞と組み合わせて「文」がつくれる。文を理解することができれば「会話」ができるのではないかという構想である。しかし、名詞に比べて動詞は難易度が高い。名詞はある物体や事柄などに音や記号でラベル付けしたものである。一方、動詞は自分や他者の動作・行動を表すものである。その違いをなかなか理解しにくいらしい。鋭意、訓練中である。
さて、われわれが英単語を覚えるとき、例えばリンゴをじっと見つめていても「アップル」という発音や「apple」というスペルが頭に浮かんでくるわけではない。われわれは、学校で先生がリンゴをもって「アップル」と呼んだのを、あるいは黒板に「apple」と書いたのを「マネ」をして覚えてきたはずである。そう、模倣も言語の習得には必要な方策なのである。そこで、模倣を介してイルカにヒトのことばを「話させる」試みを行った。それが実現したらヒトとイルカが会話できるのではないか。
被験体はナック。実はシロイルカという種は「海のカナリア」と呼ばれるほど、さまざまな音を発することができる。そのバリエーションは、ほかの種類のイルカとは比較にならないほど豊富である。そこでこうしたさまざまな音を出せるイルカに、まずヒトの発することばを模倣させた。その結果、「おはよう」「ピヨピヨ」など、計11種類のヒトのことばをマネできた。たまたま筆者の名前(「ツカサ」)も呼ばせてみると、見事に成功した。論文に採用したのは11種類のヒトのことばであるが、実際には、そのほかにもふだんの生活でトレーナーが出すいろいろな声やお客さんの歓声、くしゃみなど、何でもマネをする。どうやらマネをするのがおもしろいらしい。これができるのは、前述したように鳴音のバリエーションが多いからで、他の種はここまでマネできない。
しかし、この段階ではまだ、ヒトが呼んだものをマネしているだけで、その意味を理解しているわけではない。そこで現在は、意味を理解させる実験をしている。物を見てそれが何であるかをヒトのことばで言わせている。今のところ、まだ不安定さはあるものの、ボールを見て「ボール」、バケツのふたを見せると「フタ」と発音ができるところまで達成している。

3.ことばの研究、その先に

さて、こうしてイルカにヒトのことばを教える研究をしているが、無論おもしろ半分でもなければ興味本位でもない。実は、ここで紹介したことばを教える実験の前に、ヒトがヒトに語学を教える方法がイルカにも通用するかを調べるために、いくつか予備的な認知実験を行った。いきなりヒトと同じ方法を使っても、イルカがヒトと同じように解釈できなければ元も子もない。
その結果、イルカが高い認知能力を持ち、そこにヒトとの共通点が多いことも明らかとなった。これだけ進化や系統発生の過程が違うのに、なぜイルカとヒトの知的特性に共通点があるのか、その知の進化の収斂(しゅうれん)をたどることに意義がある。また、確かに「イルカと話す」ことは夢のあるテーマには違いないが、そういう研究の過程で「ことばの通じない相手」「ことばの発出が困難な対象」といかにコミュニケーションを取り合えるかという方策を模索していくことも本研究の重要なテーマとなっている。そしてさらに、もしイルカとことばによるやり取りができれば、快・不快、喜怒哀楽といった感情も理解してあげることが可能になるかもしれない。そうしたエンリッチメントとしての研究意義もある。
そもそもイルカという動物は人当たりがよい。愛らしい顔立ちに愛着を覚える向きも多いだろうし、「イルカ」と聞いて嫌な印象を思い浮かべる人をあまり知らない。しかし、イルカはアカデミックというよりエンターテインメントな動物という捉え方が強く、イルカが知的であることをどんなに声高に訴えても、その成果の科学的価値や生物学的意義が十分に評価されているとは言い難い。実際、受験生の志望動機や新入生の入学時の感想などには「イルカ」という文字が躍ることが少なくない。しかし、学年を経るごとに、皆、おもしろいようにイルカから他の動物に興味が移っていく。中には、一度イルカに触ると、それで満足して急に興味がなくなる学生もいる。科学の世界では、未だイルカは研究対象として考えられているとは言い難い。しかし、本稿で紹介してきたような角度からの研究は、動物の生物学的特性の理解もさることながら、それが人間の福祉や幸福にも結びついていく可能性をも示唆している。大学ならではの研究と教育として、そのようなことを説いていければと思う。