一般社団法人 日本私立大学連盟(JAPUC)
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座談会

座談会 ともに復興へ。大学がつなぐ復興へのバトン。ー阪神・淡路大震災から30年ー ともに復興へ。大学がつなぐ復興へのバトン。ー阪神・淡路大震災から30年ー

MEMBER

河田 惠昭

関西大学社会安全学部特別任命教授・社会安全研究センター長

河田 惠昭

関 嘉寛

関西学院大学社会学部教授・ボランティア活動支援センター副センター長

関 嘉寛

伊藤 亜都子

神戸学院大学現代社会学部教授

伊藤 亜都子

大久保 英哲

金沢星稜大学学長

大久保 英哲

司会音 好宏

上智大学文学部教授、広報・情報委員会大学時報分科会分科会長

音 好宏

1-1被害を減らせなかった悔しさを糧に、実践的な研究に取り組む

音 好宏さん

音 2025年1月17日に阪神・淡路大震災の発生からちょうど30年を迎えます。2024年の元日に能登半島地震が発生したのも記憶に新しいところですが、日本は災害と常に向き合わなければならない国なのだとあらためて痛感しています。本日は、阪神・淡路大震災から30年が経つのを機に、自然災害との向き合い方や災害時、その後の復旧・復興における大学の役割について、お集まりいただいた先生方からご意見をいただきたく思います。まずは自己紹介を兼ねて、自然災害との関わりにおけるご所属の大学のこれまでの取り組みや、ご自身の研究についてお聞かせください。

音 好宏さん

河田 私は京都大学で土木工学を学んでおり、学部時代から博士課程まで防災研究所で学びました。当初は海岸侵食や高潮など「海岸災害」と呼ばれる分野の研究をしていましたが、40歳を超えた頃、今後、大都市で多くの被害者を出す巨大災害が起きる可能性があると考え、研究テーマを「都市災害」に切り替えました。当時、都市災害を研究している研究者は世界でも私1人だけでした。その後間もなくして阪神・淡路大震災が起き、予想していたシナリオ通りに大きな被害が出ました。三宮の被害の様子を目の当たりにして涙が出てきました。一生懸命に研究をしてきたのに、被害を少しも減らせなかったことが本当に悔しかった。その想いを糧にして、その後は実践的な防災研究を追求して活動してきました。阪神・淡路大震災は、大学が連携する一つのきっかけにもなったと感じています。震災後、さまざまな大学の研究者が集まって復興について盛んに検討を繰り返しましたし、本日の会場である関西学院大学では災害復興制度研究所が設立されました。このように、全国の大学が連携して新しいアイデアを積極的に出すことが、復興のスピードアップにつながると考えています。

1-2震災をきっかけに研究者の道へ

伊藤 私は阪神・淡路大震災が発生した時、神戸大学の大学院で学んでいました。自宅は京都だったので大きな被害はなかったのですが、しばらく大学に通える状態ではありませんでした。3月頃から神戸大学がある灘区の避難所を回ったり、震災後の再開発や復興まちづくりの調査を開始しました。これをきっかけに、防災とコミュニティを中心的なテーマとして研究者の道へ進みました。博士課程修了後は、「人と防災未来センター」で1年間活動し、さまざまな分野の災害の専門家の方々と関わることができました。東日本大震災の折には、高崎経済大学に勤務しており、実家が被災した学生の支援や群馬県へ避難してきた被災者の受け入れなどに取り組みました。そして、2014年、神戸学院大学に現代社会学部社会防災学科ができたのを機に神戸に戻り、研究を続けています。

関 阪神・淡路大震災が起きた時、私は大阪大学の修士課程にいたのですが、ちょうど修士論文の提出日だったこともあり、鮮明に記憶に残っています。私の借りていたアパートは、揺れはひどかったものの被害はありませんでしたが、多くの建物が倒壊していたことに大きな衝撃を受けました。当時、私は人々がどのようにして社会運動に関わるようになっていくのかということを研究テーマにしており、震災後のボランティア活動に研究上のインスピレーションを受けました。その後、ボランティア活動の在り方を理論的に検討する研究に取り組み、大阪大学のボランティアに関する講座に助教として採用されたことを機に、災害の現場に赴くようになりました。そんな中、2004年に起きたのが新潟県中越地震です。学生と一緒にボランティア活動に参加しましたが、実は、ボランティアについて研究していながら実際に参加したのは初めてでした。新潟県中越地震から20年が経ちましたが、現在もアクションリサーチという形で現地に通っています。現職になってからは、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震などのボランティア活動に学生たちとともに参加しています。

会議室での座談会の様子

1-3能登半島地震からの
「創造的復興」を目指して

音 金沢星稜大学の大久保先生は、現在、能登半島地震の被害からの復興に尽力されていますが、近況についてもお教えください。

大久保 2024年1月の能登半島地震では、本学の職員1名が亡くなったほか、実家が損壊するなどの被害を受けた学生がいました。それを受けて、中期計画に震災からの創造的復興に取り組むという一文を直ちに加え、全学的に復興に取り組んできました。発災後すぐに学生ボランティアを組織したのですが、数日で130名以上の学生の登録がありました。震災直後は交通網が被害を受けていたこと、宿泊場所や安全の確保が難しかったこともあり、現地でのボランティアは断念し、金沢市内に避難してきた子どもたちを対象に、県の教育委員会と協力しながら炊き出しや学習支援に取り組みました。また、9月に入ると被災地に仮設住宅が建てられたのですが、入居した高齢者がひきこもりがちになるということで、高齢者の方々と簡単な体操をしたり対話しながら交流する「星稜サロン」というボランティア活動をスタートしています。大学ならではの取り組みとしては、学生だけでなく市民も受講できる「創造的復興論」という講座を開設しました。4月からの開講に間に合わせるのは大変で、十分に体系化する時間もありませんでしたが、結果的に500名以上の受講者に参加してもらうことができました。

2-1「人間の復興」をテーマに地域に
開かれた講座を開講

音 皆さんがさまざまな形で震災からの復興に携わってこられたことがよく分かりました。それを踏まえて、大学は今後、どのように貢献することができるのか、防災・減災・危機管理などに関連した研究的アプローチ、ボランティアや復興学の開講など教育的アプローチ、そして人材育成やアーカイブの作成など将来的アプローチの3つの分野で考えていきたいと思います。大久保先生は、能登半島地震後に「創造的復興論」を開講されたとのことですが、反響はいかがでしたか。

大久保 
「創造的復興論」では、まず災害を俯瞰することを目指しました。本学は経済学部、人間科学部、人文学部の3学部からなる小規模な大学で教員数も少ないため、外部の先生や新聞社の記者もお招きし、計15回のオムニバス講義を作り上げました。医療や工学の学部がないため、その分野はあえて避け、「人間の復興」をテーマとしました。文学の先生に「被災と文学」といった切り口で講義をしてもらったこともあります。「創造的復興論」は学生向けに開講するだけでなく、本学の市民講座や石川県内の13の大学で作る大学コンソーシアム石川のプラットフォームを通じてオンラインで公開しました。興味深かったという声もいただきましたが、一般の方の受講者が予想より少なかったため、今後は広報活動にも力を入れながら継続していきたいと考えています。

大久保 英哲さん 関 嘉寛さん
大久保 英哲さん 関 嘉寛さん

2-2防災に特化した学部学科の新設
人文社会系のアプローチから
研究・教育・社会貢献を
1ユニットとして取り組む

音 神戸学院大学には、社会防災学科という特色のある学科が設置されていますが、具体的にどのような教育・研究が行われているのか教えてください。

伊藤 
神戸学院大学は、阪神・淡路大震災の震源地に一番近い総合大学です。社会防災学科は、阪神・淡路大震災をきっかけに立ち上げられた「防災・社会貢献ユニット」という組織を前身として、2014年に設置されました。人文学・社会科学的なアプローチで防災に貢献することが目的で、災害医療や社会貢献、国際協力、メディア、教育、行政、地域等の専門家らに学びます。過去の災害における問題点やその後の改善策など具体的な事例を学ぶことで、実際に災害が起きた時に動ける人間を育てることが目標です。学生とともに被災地を訪ねてボランティアをするなど、実践を重視していますが、近年は学生自らボランティアサークルを作ったり、NGOとコンタクトを取って被災地で活動を行うなど、自主的な取り組みが目立つことに心強さを感じています。社会防災学という学問はまだしっかり確立されてはいませんが、ノウハウを蓄積して、今後の災害対応に生かせればと考えています。

音 関西大学では、阪神・淡路大震災の15年後に社会安全学部が新設されましたが、震災が大学教育の現場にどのような影響を与えたと考えていらっしゃいますか。

河田 まず研究を行い、その成果を教育に反映させ、そこで学んだ学生が卒業、修了して実社会で貢献するという3段階が大学教育の一つのユニットになっているかと思います。阪神・淡路大震災が起きた後、約10年間は最初の段階である研究のフィールドを広く、深くしていくことに注力しました。その間、文部科学省の手厚いサポートもあり、新たな研究センターが設置されるなど、防災研究は大きく前進しました。次の段階としてそれらの研究成果を教育に反映させるべく、2010年に本学に社会安全学部を新設しました。日本の私立大学として初めて、大学院を同時に新設したのですが、そうした異例の試みをした背景にはやはり研究者を育成しなければならないという考えがあったからです。こうした取り組みを続けてきた結果、震災後30年で前述の1ユニットを形にできたと感じています。社会安全学部の卒業生の就職先を見ると、警察や消防など防災に直接的に関連する職種はもちろんのこと、さまざまな企業に就職していることが分かります。防災について深く学んだ多くの学生が社会で活躍していることを、私はとても心強く思います。本学は、今では「社会安全といえば関大」といわれるほどになっています。災害は非常に不幸な出来事ですが、新しい研究分野や新しい教育が立ち上がるきっかけにもなります。災害の多い日本ですが、そのようにポジティブに捉えて、前へ進むことも大切だと考えます。

音 神戸学院大学現代社会学部の社会防災学科も阪神・淡路大震災をきっかけに新設されましたが、災害をはじめとした社会不安に対して問題意識を持った入学希望者は実際に増えているのでしょうか。

伊藤 防災に対する意識が高い学生もいますし、消防などの公務員への就職も相対的には多いです。ただし、われわれとしては学びを通して災害を自分事として捉えたり、ボランティアを経験することで、助け合いや実践することの大切さを実感し、防災に対する理解を深め、その知識と体験を広く社会で役立ててほしいと考えています。実際、民間企業に就職する学生の方が多いですし、高校の先生方にもいろいろな分野で活躍できる可能性のある学科だと伝えています。

伊藤 亜都子さん 河田 惠昭さん
伊藤 亜都子さん 河田 惠昭さん

2-3ボランティア活動からの
気付きと変化を重視

音 関先生は、ボランティアを研究の対象とする一方で、教育の現場にも取り入れていますが、どのような教育的効果があると感じていますか。

関 ボランティア活動は学生たちが社会の一員として役立てることを実感できる、あるいは自らが興味を持って学んでいる学問が世の中に貢献する可能性があることに気付く大きなきっかけになると思っています。そういう経験は日常ではなかなか得られません。私が行っているボランティアの研究も、効率的、効果的にボランティア活動を行う方法を探ることよりも、活動を通じてどのような人や社会との関わりができ、どのような変化が生じるかということに関心を持っています。また、大学教育という枠組みの中で、学生が感じたことや状況を自分で言語化することの重要性も感じています。

音 私はメディア研究を専門としており、災害時の行政発の情報をメディア等に提供するLアラートの運営諮問委員会の委員長を務めています。それらの体験から、新聞やテレビなどの記者・ディレクターたちは災害があれば被災地に飛ぶものの、取材が終わればすぐに戻っていきますが、本当に必要なのはリアリティのある情報を社会に還元することではないかと感じています。そのためには、記者・ディレクターや、それらを目指す学生が、一定期間、現地でボランティアを体験することが必要ではないか。関先生のお話を聞いて、あらためてそう強く思いました。ボランティア活動の在り方も阪神・淡路大震災以降、何か変化はあったのでしょうか。

関 近年、ボランティアスタッフが足りないという報道をよく目にしますが、私はそれに強い違和感を覚えます。ボランティアは基本的に自発的に集まるのですから、〝足りる・足りない〟で語られるものではないはずです。また、ボランティアがいないと動かない社会になっていることも問題だと思います。どこか「安く上がればいい」という考え方が感じられてしまうのです。災害の現場で立ち働くことももちろん重要ですが、復興に関してできることは他にももっとあるのです。例えば、自分の専門性を生かしたり、人と関わって社会を変えたり、さまざまな方法が考えられます。私は5年、10年というスパンで研究を続けるアクションリサーチという手法をとっていますが、この研究方法のメリットは、じっくりと被災地に向き合い、被災者の生きる世界を理解することで、多様な支援の在り方が見えてくることにあります。

2-4災害で顕在化する課題と
コミュニティの重要性

音 伊藤先生もフィールドワークを通して地域コミュニティと関わることを積極的にされていますが、その方面でもこの30年間で変化を感じることはありますか。

伊藤 阪神・淡路大震災後、必要に迫られてではありますが、市民が主体となり専門家を交えてまちづくりに取り組む機運が高まりました。しかし、30年経っても、復興公営住宅でコミュニティから分断された高齢者が孤独死したり、生きがいを見失ったりするという問題が続いています。同様の問題は東日本大震災の被災地でも見られますし、高齢化の進む日本社会全体の問題でもあります。被災地では人口減少や高齢化といった現象が、想定よりも早く顕在化するため、その課題が顕著に表れるのです。それに対して、被災者やボランティアなど人が集まれる拠点となる集会所を作るといった対策が取られるようになりました。その成果は、阪神・淡路大震災以降の被災地にも引き継がれています。そして、その後の災害でも実感したのは、やはりコミュニティに所属している人たちが主役になって復興に取り組むのが一番良いということです。政府や自治体の施策や制度を、住人たちが自分たちの街をより良くするために主体的に活用する力を持つことが望ましいのです。大学としては、そうしたコミュニティの調査をして、復興の現場にフィードバックするという形でサポートができればと思っています。

2-5教育・研究を通して
災害に強い社会をつくる

音 先ほど河田先生から、阪神・淡路大震災後にさまざまな分野の研究者が連携し、大学において防災研究の場を作っていったというお話がありましたが、復興を進める上でそうした試みは不可欠だと思われますか。

河田 阪神・淡路大震災後は、当時の文部省が防災に関する共同研究の予算を大きく増やしたため、関連分野との連携が進みました。しかし、東日本大震災の時は、阪神・淡路大震災の時にはなかった問題が持ち上がりました。福島第一原発の事故が起きましたが、省庁再編で文部省が科学技術庁と統合して文部科学省になっていたため、研究予算と原発関連の予算の両方を十分に捻出することができなかったのです。最終的に、東北大学に新しい研究所を作ることになりましたが、どうしても学術面でのサポートは手薄になってしまいました。2004年の新潟県中越地震では、新潟県から新潟大学に研究教育ユニットを作ってほしいという要望が出されました。私は10年間の受託研究を推進するという形でユニットをサポートしましたが、7年目に災害・復興科学研究所が設立され、国費で研究を行えるようになりました。能登半島地震の場合もやはり自治体がそうした働きかけをしなければならないと思います。独特の地形で、しかも過疎化や高齢化が進んだ場所で震災が起きたら、どう対策すべきかを研究するようなユニットを作ってほしいと、県が政府に訴えるべきです。あるいは、石川県が補助金を出して金沢大学などの県内の大学に研究を依頼すべきです。復興というと被災者を直接的に支援するイメージがありますが、教育・研究を通して将来の被害をできるだけ小さくし、災害に強い社会をつくることも復興なのだと、もっと大きなスケールで捉える必要があると思います。

関 嘉寛さん、伊藤 亜都子さん、大久保 英哲さん

3-1ボランティア活動を通じて地域、人と関わる意義を知る

音 最後に、今後、社会において大学はどのような役割を担っていくべきなのか、復興のバトンをどのようにつないでいくべきなのかということについて、皆さんの意見を伺いたく思います。大久保先生はどのように考えますか。

大久保 学生たちの若い力は復興において重要ですが、やはり警察や消防、自衛隊のような実力部隊ではないわけです。だからこそ、ボランティアに参加する学生たちには、どのような意義があってどのようなメリットがあるのかということを教育的に示したいと考えています。指示されて特定の作業をこなすだけでは、学生はやりがいを感じられません。ボランティアに参加している学生を見ていると、現場で何が問題なのかを発見し、どうすればその問題を解決できるのかを考えることに、意義を見いだしているのだと強く感じました。そういう形で学生と地域をつなげていくことも復興における大学の役割の一つだと思います。能登ではこれから災害関連死が増えていくことが予想されています。そうした中で、本学が取り組んでいる「人間の復興」をより強く意識することが必要だと考えています。

伊藤 大学で教えている学生たちは、阪神・淡路大震災の後に生まれています。そのため、私が戦時中の話を学校で聞いていたような感覚なのかなと思うこともありますが、みんな真剣に耳を傾けてくれます。震災を機に、大学は「地域とともに」という在り方をあらためて認識しました。私は大学院生だった当時から神戸市灘区の六甲道という地域の復興まちづくりを調査してきました。毎年、1月17日前後には、地域の震災行事に学生たちとともに参加し、設営を手伝ったり、防災ブースを出展したりしています。このように、コミュニティを学びの場にさせていただけることを本当にありがたく思っています。今の時代、地域コミュニティと関わらなくても暮らしていくことはできます。しかし、地域と関わり、人とのつながりが増えると楽しいし、世界が広がる。そういうことを座学とフィールドワークを通して学生に伝えられるのも、大学ならではだと思っています。

3-2防災を文化のレベルに
大学教育が果たす役割

関 私のゼミでは被災地でのボランティア活動に参加するだけでなく、日常の地域コミュニティの活動をお手伝いすることもあります。あるコミュニティ活動をしている方が、初めて活動に参加した学生にいつも聞くのです。「君は料理を食べる方が好き?
それとも作る方が好き?」と。これは地域活動にどう携わるかの比喩なのですが、学生の多くが最初は「食べる方が好き」だと言います。しかし、活動を続けるうちに「料理を作る楽しみを感じるようになった」「次の料理人を育ててみたい」といったことを言うようになるのです。学生たちがレシピを読み、調理し、作る楽しみを感じられるようにする。そうして自分の視野や関心を広げていくような学びを、大学という教育の場で提供していきたいと考えています。

河田 学生の皆さんには、大学で教育を受けたという経験をその後の人生にどう生かすかということをもっと深く考えてほしいと思っています。ただ良い会社に就職することを目標にするのではなく、例えば、学生時代に災害に遭ったり、ボランティア活動を経験したならば、その経験も糧としながら自分の人生を作っていくことが大切だと思います。一方、大学の側も被災経験を学生の教育にどう反映すれば、より社会が豊かになるのか考えていかねばなりません。現在、アメリカ人の年収は日本人の年収を大きく上回っています。しかし、そんな裕福な国であるにもかかわらず、コロナ禍では日本よりもはるかに感染率や死亡率が高かった。これは日本社会に清潔さを重んじる伝統的な生活文化があったからこそだと思います。防災に関してもそれぞれの意識を高めて文化にしていかなくてはなりません。それを先導する役割は、やはり大学が担っているのではないかと思います。

音 災害は非常に不幸な出来事ではあります。しかし、皆さんのお話を伺って、新しい学問、教育、さらには新しい文化を興すきっかけにもなるのだと実感しました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

会議室での座談会の様子
校舎を前に全員で集合写真
校舎を前に全員で集合写真