一般社団法人 日本私立大学連盟(JAPUC)
クローズアップインタビュー
クローズアップインタビュー

追手門学院大学共通教育機構准教授、元アーティスティックスイミング選手 巽 樹理さんに聞く 追手門学院大学共通教育機構准教授、元アーティスティックスイミング選手 巽 樹理さんに聞く

[聞き手]脇浜 紀子さん
京都産業大学現代社会学部教授

巽 樹理(たつみ・じゅり)

1979年生まれ、大阪府出身。1998年に追手門学院大学入学後、19歳でナショナルAチームに選抜。2000年シドニーオリンピック、2004年アテネオリンピックで銀メダルを獲得。2004年に現役引退し、追手門学院大学で事務職を務めた後、2013年に大阪体育大学大学院スポーツ科学研究科に進学。追手門学院大学講師等を経て、2019年より准教授。

オリンピアンとしての
経験を生かし
研究者としての
セカンドキャリアを歩む

アーティスティックスイミングとの出合い

脇浜 今回のクローズアップ・インタビューにご登場いただくのは、追手門学院大学共通教育機構の巽樹理准教授です。巽さんといえば、やはり思い浮かべるのはアーティスティックスイミングの選手としての活躍です。シドニーとアテネ2大会連続でオリンピックに出場し、チームで銀メダルを獲得されました。

巽 2004年に現役を引退しましたので、もう20年近く昔のことです。今日は当時のことも思い出しながらお話しできればと思います。

脇浜 まずは、アーティスティックスイミングとの出合いについて伺いたく思います。7歳から競技を始められたそうですが、なぜアーティスティックスイミングを選ばれたのでしょうか。

巽 家の近くにあったスイミングスクールに通っていたのですが、7歳になった頃、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールの4泳法が泳げるようになりました。当時はシンクロナイズドスイミングという競技名だったアーティスティックスイミングですが、そのスクールには競泳とシンクロのコースがあり、4泳法で泳げることがシンクロコースに入る条件でしたので、母からシンクロコースに通ってみてはどうかと提案されたのがきっかけです。私は4人兄妹だったのですが、母は誰か1人くらい芸術スポーツに携わってほしかったようです。

脇浜 当時はどのくらい練習していたのでしょうか。

巽 アーティスティックスイミングは練習量の多い競技で、小学生の時から週に5〜6日通っていました。バルセロナオリンピックに出場した先輩がいる強豪スクールだったので、練習も本格的でしたし、チームも強く、全国大会にも出場できました。練習環境や周囲の人たちに恵まれていましたね。

採点競技ならではの魅力

脇浜 良い成績を出せると、モチベーションも上がると思います。自分はアーティスティックスイミングに向いているかもしれないと気付いたのはいつ頃ですか。

巽 実は、そう考えたことはあまりないんです。私はアーティスティックスイミングに不向きな人間でしたから。

脇浜 メダリストなのに不向きだったとはどういうことでしょう。

巽 私が現役の時、日本代表の選考基準に身長減点が導入されました。できるだけダイナミックな演技をするために、長身の選手が求められていたわけです。身長165㎝未満の選手は、1㎝につき1点減点されるのですが、子どもの頃から背が低い方だった私の身長は160㎝なので、減点対象の選手でした。

脇浜 しかし、そのビハインドを別の方法で乗り越えてこられたわけですね。

巽 身長というビハインドがある中、普通のやり方をしていたら絶対に上には行けない。ですから、技術を磨いたり、表現力を強化したり、自分が持っているものを最大限に生かすことを考えて練習しました。結果的には、それが原動力となって成長できたように思います。

脇浜 アーティスティックスイミングにはいろいろな要素がありますね。アスリートとしての肉体の強靭さも必要ですし、芸術性、チームワークとさまざまなものが求められます。その中で、巽さんはこの競技のどのようなところに魅力を感じたのでしょうか。

巽 私は、採点競技であることに魅力を感じていました。競泳であれば速さを機械で計測して順位を決めることができますが、アーティスティックスイミングは機械では測れない競技です。自分の演技次第で、審判の感情を動かして結果を出せることが最大の魅力だと思います。

脇浜 ある意味、インタラクティブな競技なんですね。スピードを競う場合は、自分とライバルとの戦いですが、採点競技は審判との間に双方向性が生まれるという。

巽 そうですね。例えば、前の大会で低い評価を付けた審判が今回も審判を務めている、ならばここをこう変えてみれば評価も変わるのではないか、そう考えて演技を工夫することもあります。他のチームを敵として戦うのではなく、自分たちがどのような演技をするかが何より重要になってくる。そこに採点競技ゆえの深さを感じました。

巽 樹理さん

恩師から学んだ指導方法

脇浜 そうして続けてきた競技人生の中でも、特に印象に残っているシーンはありますか。

巽 2003年にスペインのバルセロナで開催された世界水泳選手権ですね。大会では初めて、フリーコンビネーションというソロ・デュエット・チームを組み合わせた種目が導入されたのですが、それに出場して金メダルを獲得することができました。ミュージカル『ライオンキング』がテーマで、みんなで劇場に芝居を見に行ったりしながら、一緒に演技を作り上げていきました。その時、私はキャプテンを務めていたのですが、初めて導入された競技だったので、どれくらいの点数が取れるのかも分からず不安でした。一方でワクワクする気持ちも湧いてきました。そんな中で、チームが一丸となって金メダルを取れたことが、とてもうれしかったですね。オリンピックでメダルを取った以上に、うれしかったかもしれません。あれから20年が経ちますが、演技をしていた時のことは鮮明に思い出せます。当時のチームメンバーとは今でも交流がありますが、まさに一生の友ですね。

脇浜 日本のアーティスティックスイミング界を率いてきた井村雅代コーチの薫陶を受けられたそうですが、やはり存在は大きかったですか。

巽 井村先生から学んだことは、たくさんあります。井村先生は、試合となると勝負師に徹するんです。勝つためには何をしなければならないかということを、言葉だけでなく、行動でも示してくれます。そうして、選手の限界を引き上げてくれるんです。「限界は私が決める。自分で限界を決めるな」と先生から何度も言われました。やはり人間ですから、厳しい練習が続いたり、悩んだりした時に、くじけそうになります。井村先生はそんな時に、絶妙なタイミングとパワーで上に引き上げてくれるんです。そして、気付いたら、自分が思っていた以上に高いところに来ている。その指導力は今でもすごいと思います。社会に出てからも、あの時より辛いことはないと思えるくらいですが、それが今でも大きな自信になっています。

脇浜 紀子さん

脇浜 巽さんは、現在は母校で教員をなさっていますが、井村コーチの指導を参考にすることはありますか。

巽 私の場合は講義もしますし、オリンピックを目指す学生を指導しているわけではないので状況は違いますが、とても参考になっています。指導をする際には、学生の性格も頭に入れながら、それぞれに声を掛けるタイミングやアプローチの仕方を考えています。井村先生がしていたように、個々を大切にすることはいつも意識していますね。

脇浜 紀子さん

競技も学業も全力で

脇浜 巽さんは追手門学院大学在学中にシドニーオリンピックで銀メダルを獲得していますが、どのような学生時代を過ごされていたのでしょうか。

巽 大学入学時にはナショナルBチームに選ばれており、2年生の時にナショナルAチームに入りました。それからは長期の合宿が多くて、授業に出席するのが難しい状況が続きました。当時、追手門学院大学はそこまでスポーツに力を入れておらず、代表選手もいなかったので、先生方も対応に困ったようです。

脇浜 どのようにして、学業と両立されたのですか。

巽 スポーツだけしていればいいという考え方は、親も所属していたクラブも絶対に認めない方針でしたし、私自身も、両方に全力で取り組まなければならないという気持ちでいました。そのため、先生方に事情を説明して、丁寧にコミュニケーションを取りながら、一緒に自分なりの学び方を作り上げていったように思います。時には合宿所からファックスでレポートを送ったり、夜遅くに海外や合宿から帰ってきても、次の日には大学に通っていました。学業との両立は大変でしたが、友達に会ってリフレッシュすることもできたので、大学に通うのは楽しかったですね。

脇浜 巽さんは大学卒業後、2004年に24歳で現役を引退されました。20代半ばで第二の人生が始まったことになりますが、不安はなかったのでしょうか。

巽 とても不安でしたが、これからが楽しみでもありました。2回目のオリンピックでは、キャプテンとして全力を出し切れたので、悔いを残すこともなく引退できました。そして、セカンドキャリアを考えていた時に、追手門学院大学の契約職員のお話を頂き、その2年後に専任職員になることができました。母校の職員になった理由の一つに、競技に集中できる環境を作ってくれた母校に何か恩返しをしたいという気持ちもありました。入試広報課でオープンキャンパスや、大学案内の担当をしたり、高校訪問もしました。

目標を公言して大学院へ進学 
実践したことを理論的に学ぶ

脇浜 順調にお仕事を続けられた後、2013年、33歳の時に大学院へ進まれますが、きっかけはどのようなことだったのでしょうか。

巽 在学中に多くの先生方に応援していただいていたのですが、ある先生が私のセカンドキャリアをとても気に掛けてくださっていたのです。その先生からは、「現役時代に貴重な経験をしているのだから、今の気持ちを書き留めておいた方がよい」というアドバイスを頂いたり、人としてどうあるべきかも教えていただきました。その中で、「将来のことを考えておきなさい」とよく言われました。その時、先生にいろいろな道を提示していただいたのですが、そのうちの一つが大学院への進学で、そのお話がずっと脳裏に残っていました。

脇浜 進学に向けてどのように準備を進められたのですか。

巽 先生からは、自分の目標ややりたいことを周囲に公言するようにと、アドバイスを頂きました。大学院に進みたいと表明しておくことで、周囲の教職員の方々や支援者の方々から、さまざまな情報をもらえたり、助けてもらえるようになるからと。実際にそうでしたね。高校生までは周囲の人が、歩くところにある石を全部どかせて歩きやすいようにしてくれますが、大学生になると簡単に手を差し伸べてくれないし、機会も均等には与えられません。ですから、「自分はこうなりたい」と公言して頑張ることで、「応援してあげたい」と思われるような人にならないといけない。学生にもそう伝えています。

脇浜 とてもためになるお話ですね。私も学生に伝えようと思います。巽さんは大阪体育大学大学院スポーツ科学研究科に進学されましたが、どのような思いを抱いていたのでしょうか。

巽 私はアーティスティックスイミングを実践してきましたが、今度は理論として学んでみたいと思ったのです。実践と理論の両方を兼ね備えれば、より説得力が増しますから。

脇浜 その気持ちはとてもよく分かります。私も巽さんと同じく、33歳の時にアナウンサーの仕事をいったん休んでアメリカの大学院に進学しました。メディアについて学術的に学びたい、新しいことを始めるには最後のチャンスだと思っての決断でした。大学院では充実した時間を過ごせましたか。

巽 本当に楽しかったですね。スポーツをしていて十分に学べなかった分を取り戻そうという気持ちで、存分に学びました。職員として務めた経験から、大学で学生ともっと向き合うには教員になりたいと思っていたので、先生にお願いして学部の授業も聴講させてもらい、通学時間に「自分ならこういう授業をしよう」とその内容を作りこみました。大学院に進学したときは結婚・出産もしていましたので、貴重な時間を最大限に活用していました。

脇浜 特に印象に残っている授業はありますか。

巽 スポーツ心理学は面白かったですね。適度な緊張があった方がパフォーマンスを発揮できるとされる〝逆U字仮説〟など、現役時代に感じていたことを理論的に学べました。経験と理論が結び付くことに、学びの醍醐味を感じる瞬間でした。

研究テーマを通じた社会貢献活動 
自らも新たな挑戦を

脇浜 アーティスティックスイミングを通じて、社会貢献活動もされているそうですね。

巽 私の研究テーマでもありますが、高齢者や障がい者と取り組むアーティスティックスイミングに力を入れています。高齢者向けの教室には、週に1回指導に行っています。足がつくくらいの浅いプールを使いますし、水中で浮力が働くので身体に大きな負担はかかりません。音楽に合わせて水の中で動くことで、姿勢を良くしたり、関節の可動域を広げ柔軟性を高めることが目的です。高齢者に推奨されている水中ウォーキングと違って、ただ歩くだけでなくアーティスティックな要素も取り入れているので、楽しみながら身体を動かせるのも魅力です。振り付けを覚えなければいけないので、認知症予防にもいいのではないかと思っています。年に1回、発表会を行うのですが、観客から脚光を浴びて拍手をもらうことも、生きがいにつながると思います。今後は生涯スポーツの一つとして、この取り組みをもっと拡充させていきたいですね。

脇浜 指導されるだけでなく、最近、ご自身も選手として大会に出場し、優勝までされたと伺いました。

巽 実は、2023年8月に行われた世界マスターズ水泳選手権九州大会に出場したんです。久しぶりに国内で世界大会が開かれるので、盛り上げようという意図もあり、同じオリンピアンである奥野史子さん、青木愛さんらとチームを組んで出場したところ、金メダルを取ることができました。

脇浜 マスターズとはいえ、世界大会で金メダルを取るなんて本当にすごいですね。

巽 最初は大会を盛り上げられたらという感じで始めたのですが、いざ練習を始めるとみんなとても真剣でしたね。それぞれ仕事をしているので、練習は月1回、合計10回くらいしかできませんでしたが、本当に楽しかったです。世代の違う先輩・後輩とチームを組めることも楽しかったですし、コーチがいないので自分たちで曲を選んだり、振り付けしたことも面白かった。現役時代とはまた違う達成感を味わえました。

アーティスティックスイミングのパラ競技化を目指して

脇浜 巽さんは常にビジョンを持ってキャリアを重ねてこられたと思いますが、次なる目標はお持ちですか。

巽 障がい者スポーツとしてのアーティスティックスイミングを、さらに振興していきたいと考えています。その一つの方法として、パラアーティスティックスイミングの採点化について研究しているのですが、なかなか難しい課題があります。競泳などでは障がいの重さや種類によってクラス分けされていますが、パラアーティスティックスイミングは競技人口が少なく、クラスを細分化することも難しいのです。採点基準も検討していますが、選手によって障がいの程度が異なるため一律に基準を決めるのも難しい。そのため、現在はこれまで行われた発表会での演技を分析して、さらなる検討を進めているところです。
アーティスティックスイミングを通じて、多くの方に充実した人生を送っていただけたらと思います。

脇浜 難しいからこそやりがいもあるのでしょうね。実現することを祈っています。本日は貴重なお話をありがとうございました。

脇浜さんと巽さん