一般社団法人 日本私立大学連盟(JAPUC)
座談会

座談会 東日本大震災から10年を振り返るー地域再生と私立大学ー 東日本大震災から10年を振り返るー地域再生と私立大学ー

MEMBER

原田 善教

学校法人東北学院理事長

原田 善教

源 由理子

明治大学副学長(社会連携担当)、明治大学社会連携機構長、明治大学震災等復興活動支援センター長、明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科教授

源 由理子

村上 清

陸前高田市参与、東北大学特任教授、岩手大学客員教授、立教大学客員教授、陸前高田グローバルキャンパス運営機構役員、元国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)人事研修部長

村上 清

桶田 敦

大妻女子大学文学部教授、CeMI環境防災総合政策研究機構特任研究員

桶田 敦

(司会)音 好宏

上智大学文学部教授、広報・情報委員会大学時報分科会委員長

桶田 敦

1-1東日本大震災から10年。震災と大学、地域を考える

音 2011年3月11日に発生した東日本大震災から、この3月でちょうど10年になります。大学時報でも震災の1年後に、当時の大学の対応などをお伝えする特集号を発刊しました。
今回は10年という月日を経て、東日本大震災を契機に、大学が自然災害、そして地域社会とどのように向き合い、そして、どう変化してきたのか考えたいと思います。この10年間で教育現場におけるボランティアなどへの取り組みや大学が地域に果たすべき役割、地域との連携や地域再生などについてもあらためて見直す機会もあったのではないでしょうか。地域社会と大学との関係性もキャッチボールを積み重ねながらさまざまな気づきや蓄積もあったことと思います。
本日はリモートという形ではありますが、4名の先生方にお集まりいただき、それぞれの立場から東日本大震災からの10年についてお話しいただければと存じます。それではまず、被災地の大学として原田先生からお願いいたします。

原田 被災地に所在する大学として、私たちが震災の前後で気づかされたことは、地域に根ざす大学として、地域とともにあり、地域を支えるための人材をもっと積極的に育成していかなければならないということです。そこで大学として力を入れてきたのが、学生の教育にとどまらず、広く地域の人材を受け入れて育成していくという取り組みです。
具体的には、特定の職業に必要なスキルの向上を目指した履修証明プログラムが実施できる仕組みを整備し、運用してきました。現在は、地域社会を支える人材を育成するプログラムとしてのコミュニティソーシャルワーカー(CSW)スキルアッププログラム(履修証明プログラム/文部科学省「職業実践力育成プログラム」)などを行っており、毎年、社会福祉協議会やNPOで働く方々などが受講しています。

1-2ボランティア活動のハブとなり、地域から新たな知を発信

原田 学生に地域社会により目を向けてもらうため、カリキュラムの中に地域教育科目(震災と復興、地域の課題など)を新設し、地域におけるさまざまな課題について、学生一人ひとりがきちんと本質を理解し、受け止め、その解決策を探るということを行っています。これは、全学共通で行っており、現在も続いています。 また、本学では、3月11日の震災後、3月29日には大学独自に災害ボランティアステーションを立ち上げました。学生たちから「とにかくいま動かなければ」という強い熱意があり、教職員もその熱意に動かされたのです。5月末には大学間のボランティアネットワークが整備され、本学がハブとなってさまざまなニーズに応えるボランティアを組織し活動することができました。そうしたネットワークは今日も活きており、夏休みなどの長期休暇には宿泊を伴うボランティア活動などが現在も続いています。この活動に参加した学生の成長には目をみはるものがあります。
さらに、ボランティア活動と並んで、大学が持つ知的シーズを地域の支援活動に積極的に活かそうという動きも高まりました。「学長研究助成金」という制度の創設もその一つです。この助成金は、複数学部の教員が学問分野を横断して震災復興に取り組む研究を促進させるとともに新しい知的シーズの創出を目的としたものです。『津波が来た海辺』という冊子など、さまざまな成果が出てきています。また、震災に関わるテーマをさまざまな人と考えていく総合学術誌『震災学』の刊行も続いており、10年目を迎える今年は15号を刊行します。
そのほか、講演会などさまざまな機会を設け、地域の人を大学に呼び込み、地域とともにある大学としての役割を果たしてきました。震災が問いかけたものを受け止め、それにどう応えていくかを今日まで続けてきたというところです。

音 震災をきっかけに新たな知の発信を考え、それを実践してこられたということですね。続いては明治大学の源先生、お願いいたします。

Zoomの画面

冊子『津波が来た海辺』の表紙震災復興に取り組む研究から生まれた冊子『津波が来た海辺』
総合学術誌『震災学』の表紙震災に関わるさまざまなテーマを考える総合学術誌『震災学』

1-3支援活動の制度の整備と体験を通じた学びと社会貢献

源 明治大学では、震災復興支援センターが2011年の5月に設立されました。2008年から学生ボランティアセンターが大学の組織として存在していたのですが、そのボランティアセンターとは別に、復興支援活動を推進するため震災復興支援センターができたのです。平成28年熊本地震や西日本の平成30年7月豪雨などさまざまな災害の復興を支援していこうということで、現在は震災等復興活動支援センターと名前を変えています。
制度として整備してきたことは、ボランティア活動助成金やさまざまな自治体との協定の締結、情報発信の仕組みづくりなどです。東日本大震災の関連では福島県の新地町や岩手県の大船渡市、宮城県気仙沼市、千葉県浦安市などと協定を結び、各地の協力のもと、学生・教職員の活動を受け入れていただきました。
さらに、教育的観点から学部間の共通総合講座として東日本大震災にともなうボランティア学習を実施しました。この中には被災地のボランティア実習なども含まれ、単位が取得できるものとしました。2015年度まで開講しましたが、本講座をきっかけに継続的な支援活動に関心を持ち、ボランティアサークルを立ち上げた学生もいます。
こうした支援活動を通じた学生への影響ですが、サークル活動などで主体的に活動を行う学生たちの活動報告書を読んだり発表を聞いたりすると、それぞれが自身の成長につなげていることを強く実感します。また、支援活動のノウハウなどが代々先輩たちから後輩に受け継がれていることにも感心しています。
さらに、復興支援に関する活動を行っている研究室も多くあります。例えば都市計画の研究室のゼミであれば、仮設住宅居住者の支援や復興まちづくり支援、減災対策支援などそれぞれのゼミのテーマごとに地域のニーズに合った研究と成果を共有し、学会発表や普及活動を行ったりしています。そうした体験を通じた学びは学生にとっては大きな糧となりますし、同時に大学の社会貢献の一つでもあると考えています。

音 続いては陸前高田市の村上先生、お願いします。

1-4失ったものから見えた大切なことをまちづくりに

村上 まず被災地として一番大きく変わってしまったのは、街が消え、多くの命が失われたことでしょう。行政も住民も、津波警報が鳴ったらとにかく高いところに逃げること、助かることが何よりも大切であり、命の尊さをこの震災で改めて思い知らされました。また、当たり前に、普通に生活することがどれだけ大切であるか、その日常に感謝することも重要だと実感しています。
多くを失った場所から新たなまちづくりを考えた時に、戸羽太市長が提案したのが、「ノーマライゼーションという言葉のいらないまち」をつくることです。これは陸前高田の復興プランの基礎となっており、高齢者も障がい者も外国人も、何人も取り残さないまちづくりを目指してきました。これが現在も継続され、岩手県内で初めてのSDGs未来都市に認定され「誰一人取り残さない地域社会」をつくる基本概念になっています。
さらに、震災直後には多くの学生がボランティアなどのために陸前高田に来てくれたにも関わらず、泊まる場所も集う場所もなかったところから、学生が集まれる施設を創ろうということになり、陸前高田グローバルキャンパスの開設に至りました。コロナ禍になる前には多くの学生が集まり、地域復興のプロセスを学んだり、フィールドワークを行ったりしていました。また、ハーバード大学やスタンフォード大学とのつながりもでき、震災前には考えられなかったような陸前高田になりました。それを発信していくことも、これからの陸前高田の発展につながっていくだろうと考えています。

『みんなが生き生きする未来へ』の表紙 陸前高田のSDGs未来都市とし

ての取り組みをまとめた冊子

2-1震災をきっかけとした海外とのつながり

村上 国際的な交流も拡大しています。陸前高田には、岩手県立高田高校がありますが、高校が所有する実習船が震災で流されました。その船がなんと2年半後北カリフォルニアのクレセントシティというところに漂着し、沿岸警備隊に発見されました。小舟には高田高校と書いてあったため、これは震災の大津波で流れてきた物だということを向こうの大学の先生が判断してくれたのです。そのことに聞き及んだ地元の高校生たちが、小舟を陸前高田に返そうという運動を立ち上げて、高田高校に返してくるという出来事がありました。
そしてそこから高校の国際姉妹校という形で高校生の交流が始まり、その後もこの関係が大きく発展し、市長をはじめ、議員や市民の代表の皆さんが来訪され、現在ではそれぞれが行き来をすることになりました。その上で、単に人の行き来だけでなく、経済や教育・文化の分野、女性の活躍などさまざまな分野における交流を進め、ビジネスパートナーシップの提携も含めて陸前高田市とカリフォルニア州にあるビジネスを結んでいこうという動きも始まっています。
大学や企業からの協力や支援、海外とのつながりの中から、いままでにないコミュニティ・ディベロップメントにつながっていることを感じます。

2-2メディアとしての福島との関わりと福島の現在を学生に伝えること

音 続いて大妻女子大学の桶田先生には東京、そして、福島のテレビ局に所属するジャーナリストとして震災とその後の復興をどのようにご覧になられてきたか。その後、大学に移られて大学や学生との関わりの中でこの10年をどう捉えてこられたかをお聞かせいただければと思います。

桶田 TBSの災害放送担当の解説委員をしていた際に東日本大震災が起こりました。私は90年代に旧ソビエト連邦の核開発を取材していて、多少の知識があったこともあり、3月13日に福島に入り、系列局であるテレビユー福島のサポートとTBSとをつなぐ報道の取りまとめを行いました。福島県には当時約200万人がいましたが、15万人が避難を強いられました。そのような状況下で報道を続けていて感じたことは、福島にとどまってそこで暮らす人々、そして避難を強いられた人々、それから東京や全国の人々にとって、知りたい情報や必要な情報には大きなギャップがあるということです。また、県外に自主避難した人たちへの取材で、「福島には戻れない」という思いを伝えるときに、福島に住み続けている人たちのことをどう配慮するかなども報道における難しさだと実感しました。
また、私自身は、震災当時、早稲田大学政治学研究科ジャーナリズムコースの大学院博士課程で研究をしていたこともあり、早稲田の学生や先生方と交流がありました。早稲田大学にはふくしま広野未来創造センターという復興拠点があり、そこでは人文系の先生だけでなく、工学系、理工系の先生方の研究拠点となっています。先生方とそこで研究する中で、国や県が進める福島イノベーションコースト構想に関わり、ロボット工学やリモートセンシングの技術などを駆使して30年後の廃炉に向けてこの地域はどのようにデザインできるかなどを議論してきました。
現在は大妻女子大学のコミュニケーション文化学科に所属していますが、やはり現地を見て、体験しなければわからないことは多いので、夏休みなどを利用して学生を連れていくことを通して、福島の現状を伝えています。

2-3地域との関係性の変化とこれからの知の拠点の在り方

音 それぞれのお立場から、さまざまな活動についてのお話を伺って参りましたが、震災から10年という月日が流れ、被災直後とは状況が大きく変化してきたと思います。ボランティアなどについて継続的に力を入れている大学もあれば、地域との関係や、そのあり方が変化してきている大学もあるでしょう。あらためて10年を振り返り、地域再生と私立大学の果たしてきた役割についてお話しいただければと思います。

原田 震災から10年経ち、音先生がおっしゃるように、風化していくという側面は否めません。しかし、私たちは先ほど紹介した『震災学』を発刊した当初から風化を意識し、「風化に抗う一つの手段として、常に問いと対峙し、問いを発信し続ける」ことを肝に銘じてきました。
震災直後から大学として大きく変わったと感じているのは、これまで、大学は求められれば地域貢献の一環としていろいろなことをお手伝いしますというスタンスでしたが、現在は地域とともにある大学として、また、地域の一員として、地域が抱える問題や課題に積極的に関わるようになってきたことです。震災直後に必要だったハード面に関わるものから、知の拠点である大学ができること、いわばソフト面を重視する方向にシフトしたのだと思います。地域がどのようにあるべきか、地域はどうしたいのかなど地域に寄り添いながら支える姿勢へと転換し、地域と学生との関わり合いの中で、お互いに学び合い、より高いレベルへと引き上げていければと考えています。

Zoomの画面司会 音 好宏 アップ画像

2-4信頼関係を継続しながら学生と地域とをつなぐために

源 原田先生のおっしゃるように、震災直後のハードな ものからソフトなものへとシフトしているというのは、まさに私どもも感じているところです。2019年には、震災復興に関わる協定が地域包括協定というものに移行しました。震災直後の復興支援に関する地域との連携を通して、さまざまな信頼関係を築くことができました。それをより包括的に大学の知の循環のようなソフトの支援を含めた関係性を築くステージに入ったといえるでしょう。
震災直後はボランティア活動など、まずはこちらができることをしていくという雰囲気でしたが、10年の間にボランティアとはそういうものではなく、地域が主体でその地域が描くビジョンなどを共有したうえでできる役割を果たしてくというような考え方に変わっていったと感じています。そのような役割を果たせることは、学生にとっては貴重な体験であり、勉強させていただいている部分が大きいのではないでしょうか。
さらに、いろいろな支援活動を通して実感しているのが各地域にいる本学のOB・OGの多さと連携の強さでした。さまざまな活動例を見ていると、そこには多くの場合OB・OGの存在があり、地域と学生とをうまくつないでくれたりしています。OB・OGは、心強い大学の資源であると感じました。

村上 この10年間にボランティアの在り方がずいぶん変化してきたと感じています。こうした東日本大震災時のボランティアの受入れ経験等は、平成28年熊本地震や平成30年7月豪雨における広島での被害時には、活きていたのではないでしょうか。全国から届けられる物資の受け取り方法なども同様です。次に何かが起きた時のために、知見、経験を整理し、伝えていくことも重要だと感じています。
また、大学にとっての学生の学びということだけでなく、学生や様々な方が地域に来ることで、住民にとっても学びの場であるという視点も重要だと思います。「何のためにやるのか」と考えることが重要で、地域連携、復興支援といった名称がつくセンターなどは力強い存在です。各大学OB・OGの存在も、地域にとっても大きな力になっています。
大学との関わりということでは、陸前高田市では様々な大学と連携協定を締結し、特に法政大学とはSDGs推進に関わる協定を結びました。また、協定とは別ですが、陸前高田市では市民のみなさんにSDGsのことを理解してもらうための小冊子を作ったりしています。このような活動は、大学と地域とが一緒になって進めていける可能性が大きいと思っています。

3-1現在進行形の原発の問題と地域の課題

桶田 10年でさまざまに変わったことはありますが、福島の原発災害は、現在進行形で続いています。福島を再生する目的で、地元、福島学院大学では地域連携センターを立ち上げました。そこには三つの柱があって、一つは生業の再生です。奪われた仕事を再生するにはどうするか、あるいは新たな仕事をどう生み出すのかなど、生活再建をサポートしていくための取り組みです。二つ目は、風評の払拭です。ようやく桃は震災前と同じくらいの売り上げが戻りましたが、米や魚は3割、4割というレベルです。生業とも結びつく部分であり、風評の払拭は福島にとって大きな課題です。三つ目はやはり風化させないということがあるでしょう。課題解決のためには多くの人に知ってもらうことも重要だと考えています。

音 ありがとうございます。最後に、私立大学が東日本大震災で経験し、10年間さまざまな活動を行ってきた中で、今後、大学としてどのように歩みを進めていくべきかというお話を伺えればと思います。

3-2さまざまな手段を用いて復興支援や防災について伝えていく

源 首都圏の大学としてはシンポジウムやイベント、Webサイトなどを通じて復興や地域再生のプロセスなどのほか、防災・減災について伝えていくことが重要だと考えています。また、実際にボランティアや復興支援の活動に携わった学生や教員が、ボランティア未経験の学生に経験を伝えていくことも大切だと感じます。そのような活動は学生が大学の外で社会の一端に触れ、多様な考え方があることを知る機会でもあるため、教育機関としてそのような機会を提供していくことを続けていくべきだと考えています。

桶田 私が今座っている研究室の後ろの棚にはたくさんのファイルが並んでいます。これは実は東日本大震災時のキー局の放送素材です。およそ2年間の放送素材がすべてあるのですが、こういったものをアーカイブ化してパブリックでも使用できるようにしていくことがこれから大切になってくるだろうと思っています。民間放送のオリジナル素材をオープンにするのは難しいところもありますが、大きな災害が発生した時には、映像や記録を研究や教育目的で使えるような仕組みを作っていく必要もあるだろうと個人的には考えています。大学だけでなく、自治体やメディアなども連携してそういった取り組みを行っていければと考えています。

3-3各大学の研究を持ち寄り、大きな規模で検証していく

村上 これまでのみなさんのお話とも関連しますが、やはり10年間で起きたこと、変わってきたこと、わかってきたことを検証することが重要だと思っています。学術的にもどうあるべきか、どのような問題があったのかを各大学で研究されている先生はいらっしゃると思いますが、私立大学全体で、それぞれの知見を持ち寄って次にどうつなげていくべきかという構想を考えていくべきではないかと感じました。
先ほど桶田先生のお話に放送素材のことがありましたが、実は私も震災以来7年間続けた「陸前高田さいがいFM放送」の代表を務めておりましたので、膨大な放送素材があります。このような貴重な資料はいろいろなところにあるでしょうから、一堂に集めて研究の材料にしてはどうかと考えています。
皆様のおかげで、陸前高田の市街地も全くもって新しくなり、新たなビジネスもさまざま生まれています。そのような状況で、今後さらに大きな発展を遂げるためには持続可能な経済発展が不可欠で、私もそこに注力しています。これまでの復興事業に大きく関わった地元の建設業者や土木業者は、新たなビジネスモデルを考えていかなければなりません。地域の第二創業に、大学の知見が入り、新たなアイデアをともに生み出していけないものか、地域の皆様と話し合いながら新たな産業を生み出していくことなどに大学がどう関わっていけるのか、先生方にはぜひご協力いただきたいと思っています。

3-4地域とのつながりをさらに深め、お互いを高め合うために

原田 2020年度に入ってから、ボランティアや地域連携の組織を改編し、地域連携センターを立ち上げました。自治体や企業などと協働して地域の課題解決に取り組んでいく組織として、本学の教育・研究の成果はもちろん、東日本大震災の復旧・復興、その他の事業で私どもが経験したことなどを新たな知見として生み出し、地域の価値を向上する取り組みに関わっていくことが大きな目的です。
また、2023年には土樋キャンパスの東に、仙台駅の一つ南の地下鉄五橋駅と直結した新たなキャンパスが出来上がる予定です。そこに、地域連携センターを配置し「未来の扉センター(仮)」という名前で地域連携・協働の拠点にする計画があります。そこには、地元のテレビやラジオ、新聞などと連携したサテライトスタジオのような形で大学が地域とともにどのように歩んでいるかということを常に発信していこうと考えています。
大学が地域と協働する中で学生や教員の現場力を高め、そこで培われた知見をさらにレベルアップしていくということを大学としては積極的に進めて参ります。本学では「地域は大学の財産であり、大学は地域の財産である」というキャッチフレーズを掲げながら、地域連携・協働をさらに進めていこうと考えています。

音 10年目ということを起点に、各大学、そして地域が新たに取り組んでいることやこれからの在り方を伺うことができました。本日は貴重なお時間をありがとうございました。

司会 音 好宏 アップ画像Zoomの画面